和歌山の軌跡

近畿

和歌山は兵庫県と同じく近畿地方に属しているのだが、和歌山はとにかく遠い。

最北端の和歌山市ですら、2時間近くかかるので、和歌山へ訪れると言う行為は、基本的に腰を据えないといけない。

だが和歌山は、高野山や熊野三山など古くから親しまれてきた聖地、紀伊半島の青い海など、観光資源にはとても恵まれている。立地の悪さも相まって、観光客でゴミゴミする事も比較的少ないので、じっくり時間をかけて観光を楽しみたい人にはとても楽しめる県だと思う。

今回は、今まで和歌山観光で訪れた旅の思い出を振り返っていきたい。

 

和歌山県へ向かう

自分の足で初めて和歌山県に訪れたのは2019年12月。今となっては扱いづらくなった、18きっぷを使用して和歌山を訪れた。大阪駅で環状線に乗り換える。しかし大阪管轄は非常に長い。

天王寺駅まではひたすら大阪の都心だ。和歌山の「わ」の文字も感じられない。大阪市を離れれると、列車は堺市に入る。だがこの先も和歌山県に入る気配は中々ない。都会とも田舎とも言えない景色が永遠と続く。

眠気に誘われながら車窓をボーっと眺めていると、景色は峠道へと移り変わっていく。峠を抜けた先が、和歌山県だった。県境を越えるだけでも一苦労だ。

だが、峠を越えた先に、広がる「紀ノ川」の風景は美しかった。県境って人が勝手につくった境界線なのだが、やはり県境を越えると景色も雰囲気も全然変わるような気がするのだ。思い込みかもしれないが。

 

和歌山市は紀州徳川家のお膝元

和歌山駅に辿り着いた。県庁所在地なだけあって、街はそれなりに栄えている。

だが、駅から数km歩いただけで歩行者は殆ど居なくなり、ロードサイドの景観になってしまいうのは、地方都市あるあるかもしれない。

和歌山市周辺は紀州徳川家のお膝元だ。紀州徳川家って何ぞやって思ってしまうかもしれないが、八代将軍「徳川吉宗」と言えば分かるかもしれない。徳川の血を絶やさない為に、分家を沢山設けた徳川家は相当用心深いと思う。それが260年の歴史を紡いだ訳なのだが。

駅から歩いて2kmちょいの所にある「和歌山城」は、江戸時代の歴史を今に伝えている。残念ながら和歌山城の天守は戦災で燃えてしまった。戦後には再建された。和歌山城は春の時期は桜が美しく、桜の上に天守が浮いているような風景になるとガイドの人が教えてくれた。機会があれば、また見てみたい。

和歌山市のおすすめグルメは二つある。一つ目は、ご当地ラーメンである「和歌山ラーメン」。醤油ベースのスープは濃厚でついつい癖になってしまう。

もう一つは「更科 本店」。和歌山駅から歩いて数分の場所にある、昔ながらの定食屋だ。和歌山旅行の帰りに何となくこの定食屋に寄って味噌カツを頼んだ。

少人数経営なのだろうか?。商品が届くまで少し時間がかかったが、なんと更にはボリューミーなトンカツが二切乗ってるではないか。私は目を疑ったが、間違いなく二切だった。昔ながらの定食屋はこういう事があるので、行くのを辞めれないんだなって思った。

和歌山の中心駅はJR和歌山駅と南海和歌山市駅の二つがある。

南海和歌山市駅は2012年にリフォームされたので、比較的新しい駅舎である。駅構内には「和歌山市立図書館」があるが、この図書館はスターバックスも併設されており、一際オシャレさが目立つ場所。和歌山市を訪れると、ついついこの図書館を訪れて、和歌山県の郷土史をずっと読んでしまう。

 

和歌山市の観光地は他にも多くあるが、全部紹介するとかなり長くなってしまうので、箇条書きで紹介していこう。

雑賀岬…斜面に民家が並ぶ経験が特徴的で、その独特の景観から「日本のアマルフィ」と呼ばれています。ロケーションは随一なのに、あまり観光地化されておらずやや寂れた雰囲気なのが勿体なく感じる…。

紀州東照宮…西の日光東照宮とも言える場所。森に佇んでいるこの場所はどことなく神秘的な雰囲気です。100段もある階段を上った先には絶景が待っています。

紀三井寺…西国三十三カ所の一つ。水が名物らしいです。

この中で、友ヶ島はまだ訪れた事がない。正式に言えば、行こうとはしたのが強風でまさかの欠航、行けず仕舞いなのだ。いつかはリベンジしたいと思う。

 

御坊市へ

和歌山駅より南は更に果てしなく長い。

終点駅の一つ「御坊」は和歌山県北部の終点とも言えよう。ここまではそれなりに列車の本数も多いが、更に南に行こうとすると、一気に列車の本数は減る。おまけに途方もない時間がかかるので、よっぽどのマゾヒズムじゃない限り、ここから先は特急列車での移動を推奨する。

御坊駅と併設しているのは、日本一短い路線で知られている「紀州鉄道」。

ここから数kmほど歩くと、煙樹ヶ浜に辿り着く。太平洋の青い海が眩しい…のは晴れた日の話。この日は残念ながら、曇りだった。

この場所を訪れると、不意に蘇るのはAIRの風景。海に向かって、手を広げる少女が目の前に立っている…ように感じた。

 

御坊でもかなり南に来たように感じるが、それでもだいぶ北の方。紀伊半島は入り組んだ地形をしているので、移動には非常に時間がかかる。

和歌山,御坊を越えて多くの人が訪れたのは南紀白浜だ。ここは関西を代表する温泉地であり、特急列車の半分もここが終点となる。多くの人達が降りていく中、まだまだ続く旅路に想いを馳せていた。

 

沖縄よりも遠い場所

白浜駅を越えると、車窓は更に美しくなっていく。黒潮の荒々しい波で削られた海岸線は自然の雄大さを味わえるだろう。こんな景色を独り占めできるのも、紀勢本線の醍醐味だ。白浜から更に1時間ほど乗車すると、串本駅に着く。

ここは本州最南端の駅である。近畿地方で最も、最果て感を味わえる場所と言っても過言ではない。本州最南端の駅に着いたら、やる事は一つ。そう、本州最南端の「潮岬」へ行く事だ。

徒歩で行くには遠すぎるので、駅でレンタサイクルを借りていく事にした。

駅から潮岬までは約6km。市街地を抜けると、雰囲気が一気に変わる。

この日は快晴。雲一つない空と、ギンギンに輝く青い海。今までの人生の中で最も青に近づいた瞬間だったと思う。

潮岬の灯台を上る。少し錆びの入った螺旋階段からは年季を感じさせる。

灯台のてっぺんに上って見えたのは、見渡す限りの青い海。ここは最南端なので、景色を阻害するものは何もない。本州最南端がここまで開放的だとは思わなかった。

やっぱり最〇端と言う場所にロマンを感じるのは旅人のロマンなのかもしれない。

 

熊野信仰

熊野は同じ和歌山県でも少し風土の異なる地方である。

熊野三山は、熊野信仰の中心地であり平安末期の頃が全盛期だった。中でも後白河法皇は生涯で33回の熊野詣を行った。熊野は死者の国と呼ばれており、死を体験する事で生まれ変われると言う世界観だ。熊野三山はそれぞれ離れた場所にあり、公共交通機関が発達した現代でも全て巡ろうとすればそれなりの労力を要する。

まずは本宮大社。紀伊田辺駅か新宮駅から路線バスが発着しているが、いずれも1時間以上の時間を要するので三山の中では最もアクセスが悪い。本宮は元々、大斎原と呼ばれる中州に社殿が設けられていたが、明治時代の水害で流されてしまった。今は高台に再建されたが、この場所が信仰の地である事には変わりない。

次は新宮市街にある速玉大社。駅から歩いて20分ほどでアクセスできる。さて新宮と言う地名の由来だが、元々は神倉神社に熊野大権現が祀られていたが、速玉大社に遷座された事が新宮と言う地名の由来になっている。

最後は那智大社。ここを訪れるなら、大門坂から熊野古道を歩いて参拝するのがおススメだ。

石畳の古道と樹齢数百年を越える大杉は往時の熊野古道の面影を色濃く残しており、異世界へと誘われているような感覚になる。古道を越えて、暫く歩くと落差100mを越える「那智の滝」が出迎えてくれる。熊野三山はどこも見所が多いが、那智は特に印象的だった。

現代でも、熊野を訪れたら生まれ変われるような気持ちになれるかもしれない。

 

高野山

和歌山県にある信仰の場は「熊野三山」だけでない。「高野山」も空海によって平安中期に開祖された、歴史ある聖地だ。

かつては高野街道を伝って高野山を訪れていたが、現代では鉄道で高野山まで行く事が可能だ。

まずは南海難波駅へ。そこから橋本駅を経て、極楽橋駅まで行く。橋本駅から先は険しい山道になり、これから山深い場所へ訪れると言う実感が感じれるだろう。そして、極楽橋はまだゴールではない。ここからケーブルカーに乗車し、一気に標高800m越えの世界へ。そこからバスに乗車して、ようやく高野山に到着した。

高野山は真言宗の総本山である。現代でも、僧侶を目指すべく多くの修行僧が厳しい鍛錬に励んでいる。境内を歩いていると、お経や鐘の音が響き、荘厳な空気を感じさせる。

奥之院は全長2kmに渡って続く参道。この地には著名人や織田信長などの偉人のお墓が宗派を問わず並ぶ光景には、真言宗の懐の寛大さだろう。苔むした石畳の道や墓石からは、長い年月を越えて親しまれ続けている信仰と言う事を感じさせる。

 

参道を2km歩くと、終点の御廟に辿り着く。御廟では、空海が今でも人々の幸福を願って、瞑想を続けているとされている。この神秘感は唯一無二。

日本人の多くは無宗派で自分もそうだが、宗派を超えて様々な宗派の世界観に触れる事ができる事には感謝しかない。