滋賀県の軌跡

近畿

滋賀県の第一印象を聞くと、多くの人は琵琶湖と答えると思う。琵琶湖は日本一の面積を誇る湖で滋賀県領土の約5分の1を占めている。県の大半は琵琶湖ってイメージを抱えていると、意外と小さく感じるかもしれない。

そんな滋賀県だが、驚くほど京都に近い。京都駅から僅か10分で、県庁所在地のある大津市にたどり着く。京都と滋賀は切っても切れない関係性なのだ。

歴代の足利将軍が京の戦乱に巻き込まれた時には、この近江国に幾度も亡命していたし、明治時代の一大プロジェクトである琵琶湖疎水も京都府と滋賀県の結びつきの深さを知らしめる企画だった。

 

県庁所在地 大津市

滋賀県の県庁所在地である大津市は人口約40万弱の決して小さくない都市だが、中心駅の大津駅は驚くほどこじんまりとしている。駅で降りると、眼下にはうっすらと琵琶湖が見えるが、周りを見ると飲食店が数店あるぐらいで、複合施設もなければ繫華街らしい場所もない。一方でベットタウン需要はとても大きく、多くの滋賀県民が大津に住んで京都で働く生活をしている。

その変わりと言ってはなんだが、大津市は割と市街地らしい経験がずっと続く。

大津駅の二つ隣にある石山界隈は歴史的スポットが多くある。

駅から歩いて10分ほどの場所にある「瀬田唐橋」は、幾度も合戦の舞台になった場所であり、「唐橋を制する者は天下を制す」と言われるほど、地理的に重要だった場所である事を示している。

もう一つが、石山駅から南に約数キロの地にある石山寺。西国三十三カ所の一つであり、名だたるお寺であるのと同時に紫式部が源氏物語を執筆した場所で有名だ。石山寺から見える風景が源氏物語のアイデアになったのだろうとふと想像する。

一方湖西沿線の方に目を向けると、大津京や比叡山坂本などが思い浮かぶ。

大津京は667年から672年に僅か5年間だけ、都が置かれていた。現在では住宅地に埋もれてしまってその面影はないが、飛鳥京、平城京、平安京以外にも都が置かれていた場所は数多くある。何しも目に見える風景だけが歴史的風景ではない。

大津京駅から北に約15分ほど歩くと、近江神宮に辿り着く。

近江神宮は天智天皇を祀る神社である。また競技かるたゆかりの地である事から、「ちはやふる」の聖地にもなってるんだとか。自分は残念ながら見た事がないので、なんと事かは分からない。朱色と緑のコントラストはいつ見ても美しい。

大津京駅より北に更に10分。「比叡山坂本」は比叡山延暦寺の門前町として知られている。現在ではロープウェイに乗車すれば登山をしなくても、延暦寺まで行けてしまうのも、文明の恩恵と言えるのだろうか。

坂本と言う地名は明智光秀は比叡山焼き討ちの後、織田信長より坂本を授かり、城下町を整備し比叡山の再興に努めた地域からきている。

こうしてみると大津市は特に京都市との深い繫がりを感じれる。

自分にとっては琵琶湖以上に京都のご近所さんって印象が強いかもしれない。

 

草津市

近年、関西随一の人口増加都市として注目を集めているのが「草津市」だ。草津は人口が14万人で大津市とは倍以上差があるにも関わらず、滋賀県の駅乗降数ランキングでは「南草津駅」「草津駅」が1位,2位を独占している。また駅前には近鉄百貨店なども立地していて、賑わいは県庁所在地に匹敵している。

そんな草津市は古くから交通の要衝だった、江戸時代に整備され五街道の「東海道」「中山道」の分岐点が、この草津だった。草津宿には本陣が現存しており、江戸と京都を往来していた人々の面影を今に感じる事ができる。

現代では草津線の起点かつ、複々線の終点。今も昔も草津と言う街は交通の要衝で在り続けている。

滋賀県は新快速の恩恵を受けている県だ。鉄道に乗れば乗換なしで京都、大阪、神戸へ行けてしまう。人口140万と比較的こじんまりとした県だが、京阪神へ楽々と行けてしまうのは滋賀の魅力でもある。ただ滋賀県管轄は停車駅が少し多く、兵庫県の時ような爆速で目的地に行ける感覚は少し薄いかもしれない。

それはさておき、更に北方面へ行ってみよう。

 

近江八幡

近江八幡は滋賀県の丁度真ん中ぐらいの場所にある。駅から北西に数km歩くと、豊臣秀次によって築かれた城下町に辿り着く。八幡堀は近江商人発祥の地で長らく経済の流通路として栄えていた街で、水路に沿って並ぶ街並みはとても絵になる。

しかし陸路が発展してからすっかり廃れてしまい存続の危機を辿っていた。しかしながら、地元の人達により保存活動によってかつての風景を今に留めている。

倉敷に限らずだが、江戸時代の景観をこうした現代に残せているのも、地道な活動が功を奏しているのである。

 

安土城

ここからは、近江八幡駅から一駅隣にある「安土駅」へと向かう。新快速が停車しないので、近江八幡駅で普通列車に乗り換えて移動する。

安土と言う地名は戦国時代が好きなら人ならときめきを感じるかもしれない。それもそのはず、「安土」は天下統一を間近に控えた織田信長が自身の集大成として築城したお城である。琵琶湖の畔にそびえ立つ巨大な天守閣は、まさしく天下布武に相応しいお城とも言える。

しかし、安土城は1982年の原因不明の火災によって、その姿は夢幻の如く消え去った。現在では石垣が、信長の抱いた夢の跡を残している。

安土城に入城すると、まず目にするのは大手道。かつては秀吉ら家臣の武家屋敷が立ち並んでいた。本丸まで続く長い階段は、まるで天下へと昇り詰めていく信長の人生を重ねてしまう。今は天守のない本丸からは薄っすらと琵琶湖が見える。天下統一を目前にした信長は、この地から琵琶湖を眺め何を想っていたのだろうか?

 

彦根

琵琶湖線の旅も終盤。「彦根駅」へ着いた。

彦根は徳川四天王の一角である井伊家の城下町である。駅前にある銅像は「井伊直政」の像だ。直政は関ケ原の戦いで先陣を切った功績で彦根20万国を得たが、鉄砲傷が癒える事がないまま、1602年に亡くなってしまった。

そんな彦根城は現存天守の一つであり、歴史的価値も非常に高く国宝に認定されている。実戦を想定された城郭からは、彦根城は西国の抑えとしての機能を果たしていた事が窺える。

後、彦根観光で外せないのは、やはり「ひこにゃん」だと思う。ひこねきゃん見ずに彦根市街を歩くには困難であり、ゆるキャラグランプリ初代王者の風格を感じる事ができるだろう。

 

米原

彦根を越えて、暫く琶湖本線の終点「米原駅」に到着した。

もしかすれば訪れた事はないけど、知っている地名ランキングNO,1の座を狙えるかもしれない。何故なら、この米原駅はJR西日本とJR東海の分岐点であり、人口数万人の小さな市の中心駅も、列車の発着時にになると多くの旅客で溢れかえる。

米原は東西の分岐点、即ち鉄道網における関ケ原かもしれない。

駅前には東横インと平和堂しかないこの場所が滋賀県の交通の大動脈となっているのは、少しギャップがあって面白いかもしれない。

 

長浜

米原駅は終点駅ではない。そのまま乗車していると、列車は4両に切り離されて北陸本線へ進んでいく。かつては新潟県まで続いていた北陸本線も、新幹線延伸による三セク化で敦賀止まりとなってしまい、気が付けば北陸本線と言う名前はすっかり形骸化してしまった。

長浜へ向かう途中で見える独立峰は「伊吹山」だ。自分の中では東の富士山、西の伊吹山って思うぐらい東海道新幹線の車窓から見える景色の楽しみではあるが、如何せん富士山に比べると知名度が低い。やはり、日本一の頂と言うのはそれだけ偉大なのだろう。

米原駅か数十分、もう一つの終点駅「長浜駅」に着いた。長浜は人口が10万人を超える都市で、彦根と並ぶ滋賀北部を代表する都市だ。

 

更に北へ

長浜より北へ行くと、更にローカルな雰囲気になっていく。

余呉駅は滋賀県にあるもう一つの湖「余呉湖」の最寄り駅だ。余呉湖は山に囲まれた湖で、観光地化されてない為か、殆ど人もおらず穴場の湖だ。自分は冬の時期にここ余呉湖を訪れたが、水面に映る朝焼けや雪景色はまるで鏡のようで、それがあまりにも美しすぎて異世界に迷い込んだような感覚だった。観光ガイドにあまり載らない絶景を見つけた時に、やっぱり旅をしていて良かったなと私は感じる。

余呉駅から更に一駅、列車は滋賀県最北端の駅「近江塩津駅」へ着いた。琵琶湖線、湖西線の合流地点であり、ここは滋賀県の最果てとも言える。

米原駅と並んで交通の要衝なのだが、こちらは無人駅でコンビニすら近くにない。

今は敦賀止まりとなってしまった、サンダーバードやしらさぎが行き交うをほげーと眺めながら、銀色の世界にただ一人ポツンとしていた。

何もない場所で何もしない余白も旅の楽しみ方だと思っている。

滋賀県を旅して感じたのは、畿内、東海、北陸の境界地点と言う事だった。近江商人が大いに発展したのも、こういう地域柄だからなのかもしれない。異なる地域のアイデンティティが交わる土地と言うのは、多様性を感じさせてとても面白い。