大阪の軌跡

大阪は関西そして西日本の都である。

兵庫県民の私にとって大阪は身近な存在であるが、この都市は中々にユニークな場所であると、私は感じている。

 

キタ(梅田)

大阪市だが俗に言う「キタ」、「ミナミ」の二つに分かれている。

まずは大阪市の玄関口である「大阪駅」へ向かおう。淀川を越えると、高層ビルが連なる景色が出迎えてくれる。大阪には何度も訪れているのに、この景色を見る度に高揚感を感じてしまう自分はやっぱり田舎者を性を抱えているのだろうか。

それはともかく、大阪駅は西日本一の駅舎に相応しい空間である。絶え間なく列車が発着しおり、様々な目的を抱えた人々がこの大阪駅に集う。この異なる人達が一同に集うってのが、ターミナル駅って感じがして私は好きだ。

ここで疑問に感じるのは、JRは「大阪」なのに対して、阪急,阪神は「梅田」と言う地名になっている。この駅名の違いには関西人のアイデンティティが奥底に眠っている。まず「梅田」の地名の由来だが、江戸時代に低湿地帯を埋め立てて田畑にした事にある。それから時は流れ、明治時代。全国で鉄道整備が活発化し、1874年に大阪駅が完成したが、地元民は東京を中心とした鉄道整備に反感を抱き、その土地の前である「梅田」と呼ぶようになり現在に至っている。地名にはその土地の歴史が残っているが、大阪や梅田も例外ではない。

梅田は全国でも最大級の商業地。中でも大阪駅と隣接しているヨドバシカメラの売り場面積は約3,5万平で日本最大の家電量販店なのである。一度来店しまったら最後、圧倒的な売り場の広さに翻弄される事だろう。そして、阪急阪神などそれぞれのジャンルに特化した百貨店。そして梅田ダンジョンとも呼ばれる「地下街」。雨避けの為に通ろうとしたはずなのに、目的地に全然辿り着かず、地上に出ると何故かすっからかんになった財布がそこにあるのだ。

 

ミナミ(難波)

梅田(キタ)が洗練された近未来の都市とするなら、 難波を中心としたミナミは道頓堀や通天閣など、古くからの大阪のアイデンティティが詰まった地域である。

俗に言う大阪らしさで多くの人々がイメージする大阪とは「ミナミ」であり、インバウンド客の多くがこの「ミナミ」を訪れる。

道頓堀はネオン灯がきしめく、大阪を代表する観光地。グリコの看板が特に人気で、このポーズを取りながら記念写真を撮る観光客を多く見かける。また阪神が優勝すると道頓堀に飛び込むのも、一種の風物詩になっているが、一体誰が始めたのだろうか。そんな大阪観光のトレンドである道頓堀は、水の都と呼ばれた大阪の歴史を今に伝えている場所でもある。1612年に運河として開通した道頓堀は芝居小屋が集う歓楽街として大きく発展した。

次は難波と天王寺を結ぶ「日本橋」を歩いていこう。東京の「日本橋」とは違って、こちらは電気街として発展した場所である。つまるところ関西の「秋葉原」だ。お店の数は充実しているのだが、如何せん交通の便が不便かつインバウンド客が多すぎて、もうここに寄るのはしんどくなってきている。

新世界は大阪の中でも特にレトロな雰囲気が強い界隈である。串カツ屋や喫煙可の純喫茶など、どことなく懐かしい香りが漂っている。そんな新世界のシンボルと言えば、通天閣だ。異国情緒を意識した景観や大阪発のエレベーターなど今でこそレトロの象徴である通天閣も当時は最先端の建造物だった。

新世界を抜けて、大阪第三の都心「天王寺」へ辿り着く。名前の由来は駅の北側にある「四天王寺」からきている。天王寺より北の地域は、上町大地と呼ばれており、大阪屈指の寺町なのだ。比較的平坦な地形である大阪市で高低差を感じれる数少ない場所なので、歴史好きなら必見の場所である。

そんな天王寺のシンボルは2014年に建設されたあべのハルカス。全長約300mと長らく日本一の高さを誇るビルだったが、残念ながら今後数年後には東京に記録を抜けられてしまうらしい。残念である。

 

1970 2025 二つの万博

2025年。約半世紀ぶりとなる大阪万博が夢洲にて開催された。開催前には万博開催には懐疑的な意見が寄せられることが多かったが、結果的には半年間に及ぶ累計来場者数は約3,000万人と結果的には大盛況となった。

万博のマスコットキャラとして注目したのは「ミャクミャク」。命の輝きをイメージして誕生したこのキャラは、万博が終了した現在でもグッズが制作されるぐらい人気を集める新しい大阪の顔になりつつある。

私も一度だけ大阪万博2025に足を運んだ。入場ゲートを潜ると、ガラッと空気感が変わるのが感じた。大屋根リングは単なる移動手段なだけでなく、各国のパビリオンを見下ろす事ができるグローバルの象徴ともなっていたのだ。雨の日にはヒノキの香りを感じながら、雨宿りもできる。そんな日本の伝統と最先端の建築技術を融合した万博の大目玉だった。各国のパビリオンも勿論巡った。イタリア館など人気の会場は全く入る事が出来ず仕舞いだったが、

ただ…、グルメは完全に外した。3,000円払って食べたフランクフルトがまさかの業務用クオリティ。

明らかに万博を訪れてから、異国の料理を食べたりする事が増えたので、この万博がきっかけで海外の文化に興味を持った人は増えたのだろうと思っている。

そして、大阪万博2025を訪れて感じたのは、半世紀前の万博時の熱狂感はどのようなものだったのだろうか?と言う事だった。

モノレールを利用して、万博会場跡地である万博記念公園を訪れた。世界中の人々が訪れたこの地も、今では大阪府民の憩いの場となっている。

その中でも太陽の塔は、芸術家の岡本太郎によってデザインされた一際目立つシンボルであり、半世紀以上経った今でも、シンボルで在り続けている。

EXPO1970パビリオンを訪れた。会場内では、万博当時のパンフレットや開催当時の様子が記されている。最多の入場者を記録したのはソ連であり、アメリカの月の石など、ここで冷戦期の名残を感じさせる。

万博の衣装なども当時の時代背景を感じさせるものがあった。

さて、万博からは少し外れるが、国立民族学博物館は世界中の文化や歴史を紹介するグローバルな博物館。万博ロスを埋めるには持ってこいの博物館である。

万博が開催されてから、大阪と言う都市は更に世界から注目を集めているように感じている。西の都としての発展に、これからも期待したい。